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あの時代はすごかった。ほんと。
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聖徳太子、飛鳥時代の皇族とされる人物。
日本史の中で徳川家康、坂本竜馬とならんで、一番有名な人と言ったらこの人ではないでしょか。
聖徳太子といえば・・・冠位十二階、十七条憲法、遣隋使、仏教の普及、推古天皇の摂政・・・・それと、有名なのが、10人の話しを同時に聞いたとか、昔の1万円札だったとか。
聖徳太子の家族は、
お父さんが天皇だったそうです。
用明天皇と穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)との息子と言われています。
また、息子に山代(やましろ)大兄(山背大兄王)らがいるという。
本名は厩戸(うまやど)生誕地の近辺に厩戸(うまやと)という地名があり、そこから名付けられた。聖徳太子という名は後世につけられた尊称であるという理由から、近年では「厩戸王」の称に変更している教科書もあります。
聖徳太子はいなかった?
で、聖徳太子がいなかったというのは、どういうことか?
それは、厩戸皇子という政治家の存在は認めるものの、『日本書紀』等の伝える聖徳太子像をウソとする説があるということです。
つまり、厩戸皇子なる政治家はいたけど、聖徳太子っていうのは、かなり創作が入っているっていうことです。
さて、聖徳太子の業績は、1世紀後に書かれた720年の日本書紀に見られます。
しかし、この日本書紀というのは、当時の有力者の藤原不比等らが歴史家に書かせたものですが、歴史的正確度に疑問があるそうです。
創作がかなり入っている可能性があるのです。
ちなみに、7世紀の文献には聖徳太子という名称は見られませんでした。
没後100年以上経ってから尊敬の意味で付けられた名称だとされています。
同時代の中国の『隋書』には推古天皇も聖徳太子の名前さえも出てこないのです。
因みに文献的に厩戸皇子がやっただろうといえるのは、冠位十二階と遣隋使だけ。
あの有名な十七条憲法は後世の創作だったとか、ちなみに、それを指摘した早稲田大学の教授はクビになっちゃったらしいです!
さて、日本の歴史についても触れていきたいと思います。
世界史選攻の私から見た日本史観というのも面白いかと思います。
特に、隋、唐、元、新羅、ポルトガル、オランダとの交流についても世界史を選攻した人間として書いていきたいなとか考えてます。
ひとりごと的に興味を持ったことをぼつぼつと書いていきます。
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