困難が天才の脳をつくる

今日は朝4:00からペニーボードの練習をしていた。
ここに引っ越してから、乗り始めて、1週間程度。
毎日、早朝に10分ぐらいずつ練習している。
江戸川区に住んでいたときも、何度か練習していたし、
世田谷区の駒沢公園で1度レッスンも受けたことがある。
だが、正直、これまでは転ぶのが怖くてそんなに乗ってなかった。
今はというと、これまでになく、かなり長い距離を乗れるようになってきた。
転ばなくもなってきた。
100mぐらい、ずっと乗っていられるし、ストレスも無くなった。
どんどん上達していく気がする。
プッシュ、ターン、ストップ、
まったく問題が無くなったら、チックタックの練習に入ることもできそうだ。
チックタックができれば、取り敢えずは「初心者」は終了。
この後、「乗る経験」を積む時期になってきます。
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今日说法》20140712 闺密的谎言:女孩深夜回家 却遭受两名歹徒突然闯入 | CCTV今日说法官方频道
この前の6グレードの母子との面談で、母子の超絶猛スピードの中国語が理解できなくて、超後悔している。
それで、↑↑↑の「今日の説法」を見て「速い」中国語を聞いて理解できるよう特訓をしている。
がんばらないと、
中国語「できます」詐欺になってしまう。
個人的な感覚なんだけど、上司からの信頼が弱くなった気がする。
前はもっと「中国語の人」として信頼されていた気がしたんだけど、
外部の翻訳員を毎回委託し始めたところからして、
なんか、私は「用済み」になったのかな・・・・、って感じています。
ちょっと気にしています。
信頼を取り返さないと・・・・

『聴読中国語』は、もうすぐで全課を65回音読し終わる。
しかし、
個人的には、このテキストにもだんだん限界が見えてきた。
こればっかやっててもダメなんだ。
これはあくまでも、「基礎」のための本なんだ。
この「基礎」の上に、中国語の本や新聞、ドラマ、映画、そして、本物の中国人との会話を通した練習という実践があって、本物の実力になる。
「初級」「中級」レベルまではテキストの練習が効果的だ。
しかし、
その上に行くためには、本物の中国語にできるだけ触れて練習をしていくしかないんだ。
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DMM英会話の予習
この識字能力は、現代社会では最も基本的な教養のひとつで、初等教育で教えられる。生活のさまざまな場面で基本的に必要になる能力であり、また企業などで正式に働くためには必須である。これまで識字能力がなくとも生活することのできた地域においても、近代以後の急速な産業化によって識字能力が必須となり、識字能力は生存に欠かせないものとなりつつある。また識字能力は生活水準と直結し、また国家の産業力とも連動するため、人間開発指標など多くの開発指標において識字率は重要な要素の一つとなっている。またこの理解のため、開発経済学などにおいても識字率は重要な指標の一つとして用いられる。
また、この項目を読み、内容が理解でき、何らかの形式にて書き出すことができる者は、少なくとも日本語に対する識字能力を持ち合わせているとみなすことができる。
引用元:ウィキペディア
Literacy is popularly understood as an ability to read, write and use numeracy in at least one method of writing, an understanding reflected by mainstream dictionary and handbook definitions. Starting in the 1980s, however, literacy researchers have maintained that defining literacy as an ability apart from any actual event of reading and writing ignores the complex ways reading and writing always happen in a specific context and in tandem with the values associated with that context. The view that literacy always involves social and cultural elements is reflected in UNESCO's stipulation that literacy is an "ability to identify, understand, interpret, create, communicate and compute, using printed and written materials associated with varying contexts." Modern attention to literacy as a "context-dependent assemblage of social practices" reflects the understanding that individuals' reading and writing practices develop and change over the lifespan as their cultural, political, and historical contexts change. For example, in Scotland, literacy has been defined as: "The ability to read, write and use numeracy, to handle information, to express ideas and opinions, to make decisions and solve problems, as family members, workers, citizens and lifelong learners."
引用元:ウィキペディア
문해(文解) 또는 문자 해득(文字解得)은 문자를 읽고 쓸 수 있는 일 또는 그러한 일을 할 수 있는 능력을 말한다. 넓게는 말하기, 듣기, 읽기, 쓰기와 같은 언어의 모든 영역이 가능한 상태를 말한다.유네스코는 "문해란 다양한 내용에 대한 글과 출판물을 사용하여 정의, 이해, 해석, 창작, 의사 소통, 계산 등을 할 수 있는 능력"이라 정의하였다. 유의어로는 글이나 글자를 안다는 뜻의 식자(識字)가 있다.
識字(文解)または識字(文字解得)は、文字の読み書きができること、またはそのようなことをすることができる能力をいう。広くはスピーキング、リスニング、リーディング、ライティングのような言語のすべての領域が可能な状態をいう。ユネスコは「識字と様々な内容の文章や出版物を使用して定義、理解し、解釈、創作、コミュニケーション、計算などを行うことができる能力」と定義した。シソーラスには文や文字を知っているという意味の識者(識字)がある。
문해識字(文解) 또는または 문자文字 해득解読(文字解得)은は 문자를文字の 읽고読み 쓸書き 수が 있는できる 일こと 또는または 그러한そのような 일을ことを 할する 수ことが 있는できる 능력을能力を 말한다.いう 넓게는広くは 말하기,スピーキング 듣기,リスニング 읽기,リーディング 쓰기와ライティング 같은のような 언어의言語の 모든すべての 영역이領域が 가능한可能な 상태를状態を 말한다.いう 유네스코는ユネスコは "문해란識字と 다양한多様な 내용에内容の 대한글과文章や 출판물을出版物を 사용하여使用して 정의,定義 이해,理解 해석,解釈 창작,解釈 의사創作 소통,コミュニケーション 계산計算 등을などを 할行う 수ことが 있는できる 능력能力"이라と 정의하였다.定義した 유의어로는シソーラス 글이나文や 글자를文字を 안다는知っている 뜻의意味の 식자識字(識字)가が 있다. ある
引用元:ウィキペディア
翻訳:GOOGLE
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職場で話をしました。最近、3:00に起きてスケボーをしているということをです。
すると、なんか、
「変わった人」
という、感じで言われました。
まあ、40歳を過ぎて、別にスポーツマンでもないのに、3:00に起床してスケボーを練習し始めたと言われたら、「変わり者」と言われても仕方ないでしょう。
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ついに、禁酒をしてから200日を越えた。
1年までの折り返し地点はとっくに越えている。
実際には、この前の(失敗した)婚活のときに紹興酒を2合飲んだけど、
それはそれで、気持ち良かったけど、
また、飲酒したいとは思わなかった。
つまり、精神的には、「卒業」したことになる。
「卒アル」である。
25歳ぐらいから、アルコールに依存してきた自分にとっては、この200日は大きな変化だった。
自信がついた。
勇気を持てた。
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英語をペラペラになるという「夢」は達成した。
これからは、その「内容」と「会話の質」を向上させることが課題だ。
4月にランボーおばさんが職場復帰するまでには、なんとか、さらに一段階上を目指していきたい。
「オー、マイ、グッドネスっっ!!」
とか、会話の中に自然に織り交ぜながら、
もちろん、
「ホーリー なんとかっっっ!」
とか、ごくごく自然に、
ときどき、
「ファッ○ン~~」
とか、言いながら会話したい。
(それは、ヤバいか?)
どうせ、周囲は理解できないんだから、別にいいか?www