ローカルバスは旅の勘と判断力が必要/自分改革/プレッシャー
長沙でのバスの様子です。
この映像は私の撮ったものではないですが、長沙の様子はまさにこんな。
鳳凰からのバスから帰ってきたのが、長沙南駅。
長沙火車駅って一つだけじゃなかったので、迷う。
長沙火車駅、長沙西駅、長沙南駅とあって、まずパニクる。
困ったことに長沙、張家界、鳳凰には路上に地図がない。
駅にも、どこにも地図がない。
ホテルにあるだけ。
鳳凰からバスで長沙南駅に着いたら、ホテルに行って、筆談で中国語で聞きます。
バスの123路(ルート123)ということで、そのバスに急いで乗る。
しかし、どこで降りたらいいか分からない。
また筆談。
乗客に降りる場所を聞く。
親切な乗客に助けられる。
本当、ここ長沙の人たちは親切な人ばかりで救われました。
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ニヒリストですが、やはり人間が好きなのです。
私はやはり人間です。
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バス賃を払うものの、5元札しかない。
バス賃は2元。(20円)
私はバスの運転手に3元バックするように言うが、「無い」という。
そこで、乗ってくる乗客の中から1元札単位で払う客から3元をもらう。
こんな経験も日本のバスでは無いですよね。
日本だと回数券になっちゃう。
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あらためて、長沙っていうのは人と人が生身で関わりあう町なんだなって思いました。
長沙だけではないです。
中国の大都市以外はこんな感じなんでしょうね。
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今回の中国の旅行は良い思い出でした。
良い出会いもありました。
たくさんの人たちにも助けられました。
我愛長沙、我愛鳳凰、我愛中国、我愛中国人民。
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もっと人間的にならないといけないんでしょうね。
そうありたいです。
今のまんまだと、対人に対して壁を作って拒否っちゃってるところがあるんです。
警戒しているというか。
私も、傷つけられるのが嫌いですし。
なんというか。
傷つけられることが今まであまりにも多かったので。
警戒しちゃいます。
それが、今は子供に対しても壁みたいなのを作っちゃってるっぽいです。
情けないというか。
ずっと前に児童館で働いていた頃は、私は生身でガチンコで子供とぶつかっていた。
もっと人間的だった。
人から馬鹿にされても、ちょっかいを出されてもへいっちゃらだった。
いつからだったろう。
この私の自尊心が私を覆いかぶさって私の人間性を支配したのは。
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私は変わらなければいけない。
それは分かっている。
課題だって。
今、一つの出会いがあった。
それは、異性で。
私は気にしている関係。
大事にしたい関係。
自分が人生の困難を乗り越えて、変われる関係。
大事にしたい。
私は人を好きにならないといけない。
私が失った人間性を取り戻す関係。
自分から意思してニヒリストになったわけではない。
いつのまにか、自分が殻に閉じこもってしまったのかもしれない。
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もし私が、ドクターゲロみたいなマッドサイエンシストだったら、今のままで良いかもしれない。
しかし、子供と関わる関係の仕事をしていると、このままの人間性だと限界が来ている。
プロとしての自尊心を保ちたいなら、今以上に人間性を高めないといけない。
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この関係を大事にしたい。
自分が変わりたい。
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昨日はストレスが溜まった。
言ってみれば「駄目だし」みたいなものを徹底抗戦で叩かれた感じ。
もぐら叩きのように、次から次へと駄目だし。
正当性のある意見から、まったくの自己中心的なものまで。
本当に神経を使いました。
親との会合です。
定期的にあるやつで、苦手なんです。
でも、自分の成長のためにはこういう人たちの存在が必要なんですね。
苦しいですが。
まだ胃がモヤモヤしています。
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結局、昨日は酒に頼って眠りました。
そうでもないと、この嫌な感じは払拭できないし、今も胃が痛いです。
自己成長のための愛のムチだと思って正面から受けます。
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