モスクワ空港 軟禁2日目
深夜1時ごろでしたでしょうか。
私は1階の待合室にてソファーに掛け、午前3:00に来る飛行機を待っていました。この時はまだ私の中では早くイスタンブールに行きたいという想いがありました。
旅行ガイドブックを眺めながら何を食べようか、どこに行こうかなどとイスタンブール行きを楽しみにしていました。
時間はあっという間に過ぎました。
3:00です。
どうも、飛行機はまだ来ないようです。
もう少し待つのかな?と思い2階に上がって食事でも取ることにしました。
再びフライトスケジュール表を見ると7:00に変わっていたのです。
どうも延期されたようです。
4時間か、空港のラウンジで食事でもして本でも読んで過ごそう。
そう思い、バーに入って食事をすることにしました。
初日から何度も遅延を繰り返し、予定よりもかなり時間にズレが生じています。
一泊目のホテルにも連絡をしたいのだが・・・・。
空港にインターネットサービスがあれば良いのだが、私はPCは持ってこなかったのだ。
バーでは4人組の日系人に話しかけられました。
彼らも同じ飛行機に乗ってきてイスタンブールに向かう人たちらしいです。
ブラジル系の日系人らしく、男女の2カップルでした。
一人の男性と女性が日本語が上手でお互いに情報交換をしようと私と約束をしました。
まだ、この時の私は焦ってはいなかったので、まあ、良い人たちと出会えたな的な気分でした。
彼らとバーで食事をしました。
自分の職業のこと、相手が何をしているか。などお互いのことをあれこれと伝え合いました。
そして、7:00まで時間があるので、1階の待合室でソファーに寄りかかって寝ることにしました。
私はどうせすぐ飛行機が来るんだからと思って、しばらく本を読んで寝ないで過ごしていました。
基本的に公共の場所で寝るのは苦手です。
特に、私の方は一人旅ですから、緊張感が常にONになっているのです。
その点、今回の旅行で日系人のグループと出会えたのは幸いでした。
お互いに荷物を見守りながら、誰かは起きていれば言いわけですから。
さて、時間はすぐに過ぎ、7:00となりました。
しかし、ゲートの番号が出てきません。
普通なら、発着の決まったフライトはゲートの番号が表示されるはずなのです。
どうも、今回も遅延になっているようです。
表示を見ていると、12:00に変更になりました。
またか・・・。
さすがに今回はきつくなってきました。
日系人の男性が私に話しかけてきました。
「・・・これ、やばいよ。」
確かに、私もそんな感じがしてきました。
でも、12:00には出るというんだから、そこまでは待てばいいのです。
しかし、1泊分は完全にキャンセルです。
ホテルに着いたら事情を説明してキャンセル料が発生しないようにしないと。
私の心配事に対して、一人の日系人女性が親切にも携帯電話を使わせてくれるというのです。
ありがたく私は借りることにしました。
ホテルに電話をかけます。
何度か失敗し、3回ほどかけてようやくホテルにつながりました。
私は英語で話します。
・・・・・・
どうも、相手は英語が話せないようです。
一方的に電話を切られてしまいました。
再び電話をかけます。
つながりました。
しかし、私がハローといった時点で切られてしまうのです。
・・・これは仕方がないな・・・。
現時点ではインターネットへのアクセスはありません。
その知り合った日系人もネットへのアクセスはありませんでした。
空港に泊まって2日目。
少し焦りが出てきました。
早くイスタンブールに行きたい。そう願っていました。
でも、12:00まで待てば飛行機が来るんだから、それまで頑張ろう。
一人の日系人の男性が私に“ミール・バウチャー”をもらいに行こうと誘ってきました。
ミール・バウチャーとは、無料の食事券のことで、航空会社が遅延へのお詫びとして無料で発行するものです。
490ルーブルの無料のチケットでした。
日本円で1300円くらいでしょう。
このミール・バウチャーで食事の面では辛いということはありませんでした。
仲間と食事を済ませて12:00になるのを待ちます。
電光掲示板とにらめっこをする時間が多くなってきました。
なぜなら、本フライト確定になるとゲートの番号が指定されるからです。
しかし、その12:00のフライトにはゲート番号は指定されていません。
結局その12:00のフライトにゲート番号が表示されることはありませんでした。
そのフライトは遅延となって17:00発に変更されました。
また、5時間待つのか・・・。
さすがに辛くなってきました。
早くイスタンブールに行きたい・・・・。
日系人の彼が言うのです。
「これは本当にやばいんじゃないですか。」
私たちは2日目でしたが、3日間待たされているという女性もいました。
小さな子供をつれた女性でした。
彼女は空港職員に対して泣きながら自分が3日も空港で待たされていることを訴えていました。
彼女の泣きようも尋常な泣き方ではありませんでした。
それを考えたら私たちはまだ2日目です。
3日も待たされている人のことを考えたらまだまだです。
17:00まで待てばいい。
その想いが私の正気を保っていました。
私はほとんど眠っていませんでした。
ザワザワとする空港の中で自分の荷物を抱え、ソファーの上でボーっとうたた寝をする程度の睡眠です。
体力は消耗します。
早くイスタンブール行きの飛行機に乗ってゆっくり眠りたかったのです。
17:00になりました。
私はずっと電光掲示板と睨めっこをしていました。
しかし、17:00の便も遅延となったのです。
このあたりから、旅行者が空港職員に集団で言い寄るという場面が増えてきました。
上のYOUTUBEは私が撮ったその映像です。
そして、集団での抗議が増えるにしたがって、空港職員が乗客の前に姿を現す回数も減りました。
私は空港職員に話しかけました。
「この17:00の便のゲートは何番ですか?」
と英語で話しかけたのです。
すると、相手の50代の女性職員はロシア語で、
「だから、出発は17:00よ。」
と答えるのです。英語が全く分かってないのです。
再び、ゆっくりと丁寧に質問しました。
それでもやはり同じです。
「だから、17:00出発よ。」
と、それらしいロシア語で答えるのです。
そして逃げます。
ゲートの番号を聞かれているのに、出発時間を何度も答える職員。
ロシアの空港職員は英語が話せないのです。
これは問題でした。
いたるところで問題でした。
大事な情報やアナウンスメントがロシア語だけで伝えられることがあったからです。
日系人の彼は上手いことロシア語のできる人と仲良くなったので、私に情報を伝えてくれました。
しかし、英語の苦手な日本人の空港職員ですら、頑張って英語を勉強しているというのに、このロシア空港の職員のていたらくといったら何なんでしょうか。
国際空港、しかも、ヨーロッパ、アジア、中東、アフリカを結ぶハブ空港ですよ。
それこそ、世界中の人間が利用する空港だというのに、ロシア語しか話せない。英語が話せない、分からないというのは致命的です。
全く不勉強だと思いました。
それこそ、苛立ちを感じざるを得ませんでした。
さて、17:00出発だった飛行機は22:00出発に変更されました。
また5時間待つのです。
いたるところで集団による抗議が行われていました。
「なぜ飛行機が来ないのか。」
抗議の頻度が増すたびに、空港職員が姿を現す頻度が減ります。
彼らの問題は情報を詳らかに話さないことです。
悪く言うと嘘を言うのです。
また、謝るということを決してしません。
私は彼らロシア空港の職員を非常に傲慢に感じました。
さて、遅延のたびに発行されるミール・バウチャーで食事を取ります。
しかし、問題なのは、食事の時間になると一気に人が増え、食べ物が無くなってしまうのです。
夜18:00を過ぎるとバーの食べ物は空っぽです。
私は行きの飛行機でランチに出てきたパンを一つ(2つかばんに入れておいた)を食べます。
何の味もしないパンですが、空腹を満たしてくれます。
22:00まで待とう。きっと来る。
そう信じてひたすら膝を抱えて待ち、時には、電光掲示板とにらめっこをし、時には、ぶらぶらと空港を歩きます。私はだんだん時間の潰し方が上手くなってきました。
5時間程度だったらなんなく潰せるようになりました。
さて、22:00になりました。
ゲートの番号を確認しに行きます。
しかし、そこには番号はありませんでした。
再び遅延です。
さらに時間は3:00になりました。
そこで、日系人の彼が言うのです。
「3:00に出発なんて有り得ないですよ。」
確かにそうだ。
私はそこで空港職員が適当に時間を入れているだけで、それは嘘で本当は飛行機なんか来ないんじゃないかという疑念を抱いた。
それは恐怖だった。
そうだ、彼らは単に乗客の気を紛らわすために5時間おきに数字を入れていっているだけだ。
だから、今度の3:00のだって来ないかもしれない?
再び騒乱が起こる。
一体いつになったら飛行機は来るんだ!
その怒りは私も同じだった。
しかし、騒乱で問題は解決しない。
むしろ、情報源である空港職員を逃がしてしまう。
私は静かにソファーに横になって貴重品が入ったかばんを枕にして横になる。
スチールの手すりがついていて睡眠に適さないソファーにアクロバットのような姿勢で器用に寝ることすら出来るようになったのです。ありがたくもなんともありません。

この日記を書いているこの日は本来ならば最終日の前日だったのです。
私が成田行きの飛行機に乗ったその一時間後にイスタンブール行きの飛行機は回復しました。
全く、泣きたくなってしまいますよね。
幸いにも、日系人の彼ら4人はイスタンブールに着くことが出来ました。
私は無為にも再び東京に戻ります。
なんの収穫もない旅でした。
あまりにも悔しくってならないので、3月に忙しい時間に割り込んで再び旅行に行こうかと思っています。
お金がもったいないですが。
でも、悔しくって、このままでは4月からまともな神経では働けません。
あまりにも悔しい。
旅行会社には航空会社に旅費の返還の交渉を以来している。
どれだけ戻ってくるでしょうか。
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