単純と思えるものの複雑さ、知能再現への距離感

ヘチマ
なぜヘチマ?
このブログとヘチマはそぐわない。
いや、
・・・・。
そう思います。
仕事が教育系ですから、
生徒がヘチマを育ててたりするんですね。
それを今日は職場でみていました。
乾燥したヘチマです。

ヘチマは乾燥させると茶色くなるんですね。
それで、パリパリに皮が固くなって、それで剥けてくる。
皮が剥けて、“元中身”であったところがでてくる。それが↓↓だ。

スポンジ状になっている。
なるほど、これを昔の人たちはヘチマといって、お風呂のスポンジ代わりに使っていたのか。
しかし、
このスポンジ状になった、節というか筋、というか管の複雑極まりない構造を見ていると、思わず気が遠くなってしまう。
永遠に続く迷路のような管の細かいつながり。
じっと見ている。
これが有機体の複雑さなのか・・・・・。
見入っている。

↑これは、同じ写真を拡大したもの。
非常に複雑に管が絡み合っている。
この管はもともと、ヘチマの中身の細胞壁を形づくっていた管の残骸である。この残骸がスポンジ状の構造体を形づくっている。
もともとは、この細胞壁の残骸のそれぞれ一つひとつに細胞が入っていたのだ。
・・・・・・。
生物とは何と複雑なのだろう。
理解の範囲を遥かに超えるような複雑さで結びつく細胞たち。
かつて生きていた細胞体は、このネットワークの中で、情報を交換して、種子を生成したり、果実の部分を成長させるなどの命令をお互いに交わしていたのだろう。
それも、全く自律的に。
これを見ていると、人工知能と本物の知能との果てしない距離を感じてしまった。
この、乾燥したヘチマの細胞壁の残骸が織りなす構造体を見て、私は、人間の脳細胞を想像していた。
「人間の脳細胞も、このような複雑な神経のネットワークでできあがっているのだろうか・・・・。」
そうなんだろう。
いや、
もっとかもしれない。
だとすると、コンピューターで人工知能を再現するって、とても複雑なものが生み出した現象を再現するということになる。
そんなことは可能なのだろうか。
自発的に考えて、
感情を持って、
人格を持った人工知能を創るには、この複雑さは超えなければならない壁なのだと思った。
人間の、いや、全生物の仕様書はDNAだと思う。
それにもとづいて、適当な位置に、適当な時期に、適当なタンパク質が合成される。
これが全てだと思う。
DNAに全ての、その個体の仕様に関する情報がこと細かく書かれている。それも膨大に。
人間の脳についても同じだ。
どのように記憶するか。
感情のメカニズムは。
学習の方法は。
DNAの情報を解析して、それを1行、1行、プログラムに直していけば、論理的には、同じもの(人間の知能)を再現できるはずなのだが。
そこまでに遥かな距離を感じて、だれもやろうとすら思わないのだ。
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