監獄からの脱出 さよならイスタンブール

成田行きのゲートの前にて
この記事の内容はフィクションではありません。
私がモスクワ空港に5日間拘束されていた時のことをそのまま書きます。
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イスタンブールに行く予定でトランジットのモスクワ空港に来てから早5日目。
昨日の情報では、大寒波により送電線が切れモスクワの2ヶ所の空港が完全にシャットダウンということだった。
私はその一番タイミングの悪いところに来てしまったわけだ。
何の情報も無くとじこめられているのは辛いものだった。
しかし、復旧のめどは立っているという。
私はイスタンブールに行くか東京に戻るか考えていた。
イスタンブールに行くとすると、帰りの便でも再びモスクワ空港に寄ることになるからだ。
このモスクワ空港に5日間閉じ込められていたことを考えると、ここに再び戻ってくるのもゾッとする。
とにかく、まずはこの空港から出ることが先決だ。
5日間ほとんど睡眠をとっていないために、疲労が蓄積し、判断力が鈍っているのが自分でも分かる。
焦燥感、苛立ち、怒り、無力感。
それらのネガティブな感情がピークに達していた。
そして、ザワザワと常におさまることのない周囲の騒音。
酒を飲んで大声で騒ぐ人たち、デモのコールの声、聞いたことのない他所の国の言葉が常に耳に入ってくる。
私の聴覚は既に麻痺して、聞こえないはずの音楽が耳を通って聞こえてくるようになってきた。
幻聴である。
私は耳栓をしてフードを被って眠ったフリをした。
入浴をしていない不快感。
フケが溜まった頭。
体中がアトピーのようにカサカサとかゆくなってくる。
先日着陸した飛行機はモスクワ空港に今も待機している。
電光掲示板を見ると、10:00に出発するらしい。
10:00前に5番ゲートの前に人が集まっている。
私もそこに集まって待っていた。
今回はいままでとは違い、飛行機は空港に待機している。準備もできている。
あとは天候条件のみだ。
空港職員が受付ゲートの前でパソコンを操作している。
離陸許可をもらう手続きをしているのだ。
70~80人ほどの乗客が集まっていた。
空港職員はパソコンを何度も操作し、電話でどこかと連絡を取っている。
飛行機は飛ぶのだろうか。
そのうち、空港職員がロシア語でなにやら話し出す。
私には意味が分からない。
私は最後の最後までその職員の操作画面を見ていた。
再び、ロシア語での会話が行われる。
飛ぶのだろうか?
しばらくすると、そこに何十人といた人だかりが、一人、二人、と去っていく。
空港職員の言葉の意味は分からなかったが、乗客の態度からおおよそ結果は分かった。
どうも今回も飛行はしないようだ。
私は同じ待合ロビーに寝転んだ。
私はこのままこの空港で一生過ごすことになるのだろうか。
などと、平静では考えもしないようなことを考え始める。
まったく馬鹿げているが、人間、無力感に捕らわれるとそのような考えを起こすのだ。
焦りが恐怖へと変わっていった。
イスタンブールに行くことよりも、まず、この空港から脱出することの方が重大事となっていた。
寒い。
体温が下がっているような感覚だ。
私はかばんからありったけの着替えの服、セーターを取り出してそれを毛布の代わりにして横になっていた。
その頃、デマが度々発生するようになった。
情報が欠乏している集団は、信憑性の低い情報でも信じてしまう傾向がある。
また、個人は集団に依存して行動するようになる。
これまで非文化的だとさげすんできたデマという行為にいともた易く陥ってしまう人間の判断能力の限界を見たような感じだった。
多くの集団が偽りの情報に振り回され、空港中を右往左往する。
「イスタンブール、18番ゲートだ!!!」
一人の土耳古人が叫ぶ。
すると、1階の待合ロビーに居た数十名が駆け足で彼の後を走ってついていく。
まるで狂熱に駆られたようだ。
しばらくすると、それが偽りの情報だったと気づく。
スタンボールとかいう違う地名の空港だったのだ。
これだけの偽りの情報に何十人が総動員されるというのは考えただけでも恐ろしかった。
正しい情報が欠乏し、判断力の欠いた集団が引き起こす行動である。
これが戦時中だったら暴力や殺人行為に発展するのは容易の想像できる。
今日も何度かイスタンブール行きの表示が電光掲示板に現れては消える。
待つのはこれが限界だった。
同じ屋根の下で5日間同じ状況の中で過ごしていると、国は違えどお互いに共同意識が芽生えてくる。
お互いに仲間のような感覚になってくる。
普通の旅行では、ただの通りすがりとして顔も忘れてしまうような隣人が、お互いを支えあうような大事な仲間のように思えてくるのだ。不思議なものである。
私がよく情報交換をしていた日本人カップルがいた。
彼らの話によると、今晩日本大使館の職員がモスクワ空港に来るそうだった。
それも、確実に飛ぶ飛行機を2機よこすと言っているらしい。
東京へのフライトは20:00だった、
私は成田へ帰ることを決意した。
3階のトランジットで成田行きのチケットを受け取った。
あっという間の手続きだった。
さようならイスタンブール。
日系人の仲間たちは17番ゲートに並んでいる。
どうもイスタンブール行きも発着のめどがついたようだ。
私は23番ゲートに並んだ。
そこには150人ほどの乗客でひしめいていた。
まるで狂ったように我先にと前に進もうとする。
誰も並ぼうとしない。
空港職員も声を出して並ばせようとしない。
これでは駄目だ。
飛行機が来ていてもこんな混乱した状態では中に入ることなんて出来ない。
なぜ並ばないんだ。
なぜ、並ばせないんだ。
ゲートの前に空港職員が来ると、お約束のごとくロシア人が大声で罵声を浴びせる。
(なぜ、このタイミングでそういうことを言うのか)
何事もなく飛行機に乗ることは出来ないのだろうか。
罵声を浴びせられた職員は黙ってしまう。
黙った職員は無反応にただ立っているだけだ。
それ見たことか!
また搭乗が遅れたじゃないか!
自分たちが原因で搭乗が遅れていることに気づかないのか?
まさに、自分が正義の代弁者のごとく(我々の?)心情を大声でぶつけてくれている。
ありがた迷惑だ。
今は黙っていてくれ。
そこへ日本大使館の職員がやってくる。
彼はマイクを取って乗客を誘導し始めた。
150人が狭いロビーに集まっているために、なかなか全体が動かない。
未だに自分こそはと前に進もうとする人がいる。
大使館員がマイクで叱責する。
ロシア語でモスクワ空港の職員に対して対応の遅さを叱っているのだ。
彼の誘導も功があって、なんとか一人一人飛行機に搭乗することができた。
飛行機に乗ってからも1時間以上待った。
ギリギリ入るまで飛行機に乗せるようだ。
私が成田行きの飛行機に乗って、日本に向かった同じ頃、イスタンブール行きの飛行機も回復した。
さようならイスタンブール。
長かった空港生活がこれで終わりました。
それとイスタンブールへの旅行の夢もお預けとなり、また忙しい1年間が始まります。
非情にいたたまれない気持ちを抱えて私は眠りにつきました。
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